不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

『1999年の夏休み』

映画編集者の冨田功さんと、この映画の脚本家にして戯曲家の岸田理生さんの追悼となる上映でした。
冨田さんは20年の間に100本を超える作品を繋いでおり、現代日本映画を見る人ならばほぼ確実に彼が関わった作品を見ているでしょう。
金子修介監督とはデビュー作からのつきあいで、2001年の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総進撃』まで15本もの作品で協働したスタッフでした。
金子監督は、ホームページに掲載しているエッセイの中で、控えめに彼の死について触れています。*1
45歳の若さでした。
わたしは、映画『クロスファイア』に関連したniftyのオフ会で、彼と二言だけ話したことがあります。気さくな感じの方で、金子監督と二人、新宿の雑踏に消えて行った後姿を、今でも覚えています。
岸田さんは、劇団「天井棧敷」において、寺山修司の片腕として数本の脚本に関わった後、自らの事務所を起こして活発に演劇活動を行った他、映画脚本17本を書き、ビデオ映画で3作品を監督もしました。また、自らの戯曲集に加えて絵本の創作や翻訳などにも才能を発揮し、角川書店ルビー文庫からこの映画の小説版*2を出版してもいます。
享年57歳でした。
お二人のご冥福をお祈りいたします。

*1:http://www.shusuke-kaneko.com/essay/2002_09.html
http://www.shusuke-kaneko.com/essay/2002_11.html

*2:金子監督による大きな修正が入る前の稿を元にしたもので、ノベライズではありません