不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

売買春/買売春とフェミニズム

わたしは、売買春が女性差別(というよりさらに広く、既存のジェンダー秩序)を形作る要素の一つであるという指摘を否定できない。もちろんヌスバウムの言うように「性的サービスの売買」そのものが悪いわけではないので、差別を補強しないような形の売買春だって理論的にはあり得ると思うけれど、現実の社会において売買春の大部分がそのような形になることは当面考えられない。しかし、だからといって性差別や抑圧的なジェンダー秩序を壊すために売買春を撲滅しようというのは短絡的すぎるし、政治的な目的のために現に性産業ではたらく人たちを犠牲にして良いとは思わない。
http://macska.org/article/240

ここ何年か、売買春について発言することを、わたしは意図的に避けてきたのですが、macskaさんのこの発言から思ったことをひとつ。
まず、<売買春が「女性差別(略)を形作る要素の一つ>であることについて同意します。
これは、<売買春が「女性差別(略)」を再生産する原因となっている>のとほぼ同意と思われます。
しかしこれは<売買春が「女性差別(略)」の原因である>、とは違います。
ありうべきジェンダー秩序/無秩序の状態においては、<売買春が「女性差別(略)」を再生産する原因にはならない>ことも充分に考えられます。
であるならば、<性差別(略)を壊すために売買春を撲滅しよう>というのはむしろ倒錯であり、売買春を性差別(略)の加担者の立場から「救い出す」ためにも、性差別(略)の破壊が必要だと考えるべきなのではないでしょうか。