不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

性の非対称性

BL文化の隆盛に対し、百合文化というのはいまいち栄えていません。これは現代日本の女性にとって、男装というものがほぼ不可能になったからではないかと思うのです。
かつてオスカルは男装して美しい男たちと渡りあったわけです。しかし今や、日本の女性会社員にとってパンツスーツなどむしろあたりまえ。良い時代になったものです。
それに対し、日本男性の場合は未だに女装して女性と愛し合いたいという層がかなり厚く存在しています。
ですからミニ・スカートとマリン・ルックとハマトラの男性会社員がそこらを跳梁跋扈することになれば、百合文化はもっと栄えるはずです!きっと!!
<追記>
フェミ的になんか納まりの悪い結論なので考え直してみた!
むしろ女性にとって男装による挑戦が不可能になった現在は、男女の階級性が隠蔽され、その闘争が内在化されてしまっているのではないか?
いっぽう男性は女装による一時的女性化という「いいとこ取り」(by上野千鶴子)をあいも変らず実践することにより、女性の周辺化とそこからの収奪を行い続けているとも言える。
つまるところオサーンに逃げ道はないのだ。
つーかBL本が本屋の棚を何本も占領している現状というのはどう考えてもおかしいのであって、ジェンダー的に公正な世の中になればポルノ小説と同程度の市場規模に転落するものと予想されます。
うん、こちらの方がよいな。
<追記2>
id:hizzzさんが構ってくれるので喜び勇んで反応。
http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20080627/p1

まずもって男装=百合文化・BL文化=女装としてしまうのが、かなぁ〜り恣意的。

えぇ?
わたしそんなこと書いてる??
書きなおす前の方の文章では
男装→BL文化、女装→百合文化
というつもりだったんだけど。

コスプレイヤーひとつとってみても、男性キャラに扮しているBLちゃん(性別関係なく)は、結構いるしね。

レイヤーの話はとりあえず考えてないので……。

次にレイヤーでない異装で考えてみても、渡り合えるような美しい男はリーマン社会には到底いないから、無理に男装麗人=ハイパーウーマンになる必要もなくなったのでは。

これはひどい男性差別ですね!!
でもまぁそうかも。

んで、その夢冷めやらぬ一部女性はBLとかの別腹でトランスするようになったんでは?

んー、それはわりと年齢が高い一部女性の話になるのではないでしょうか。

しかし、むしろ(未だ文化の体をなしてない)百合を対文化幻想として、BLの周縁に建てようとする作為意図「ミニ・スカートとマリン・ルックとハマトラの男性会社員がそこらを跳梁跋扈すること」と一緒くたにされることこそ、余計な御世話かと。

うんうん。
「非対称性」とか書いているくせに形式的な対称性に収めようとしているのが気持ち悪いですよね。
だから書き直してみたんですけど。
<追記3>
id:hizzzさんの勝利への信念には頭が下がります。やはり戦争をやるならば勝たねばならない。

例えば、女装=ロングヘアで胸つけてスカートドレスで口紅つけて嬉しくなる程度の「着ぐるみ」なんかいくら増えても、「マイノリティたる自分の価値観の意志表明の可視現実化」になんかは、ひとっつも貢献しない。

大本尊たるモードへの挑戦も批判もない服装をいくらしてても、それは時代と共に流れるダケで「コード」としては確定しないであろう。

もちろん、勝ち負けでいえば負けであることはあきらかなんだけど、そこが非対称であって、かつ卑怯者の「最期」の見せ場なんじゃないかと思っているわけなのです。
あと、漢なゲイは女の敵ですもちろん。