不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

『歴史に「もし」があったなら』

歴史改変エッセイ集。
出版社のバベルプレスという会社は、翻訳教育を本業にしているところのようで、複数の訳者は全員、ここのコースを終了した人です。
時々意味不明な訳語が出てきますが、問題にするほどではなく、日本語としての水準はクリアしています。
わたしは歴史改変ものがわりと好きなのですが、しかしこの手の話はラストのさじ加減が大変難しい。
清水玲子『月の子』、赤石路代『AMAKUSA1637』などでは、歴史が改変された結果として現代が理想郷になってしまうのですが、これでは興醒めなのです。
しかし、何があっても歴史の大筋は変わらないというのも面白くない。
藤子・F・不二雄の傑作『T・Pぼん』では、「歴史の復元力」という言葉で表現されていますが、人一人の生死によって歴史が動くことなどない、というような考え方です(『T・Pぼん』自体には、歴史に影響を与える人物とそうでない人物をチェックするという描写があります)。
ロンドンで出版されたこのエッセイ集はどちらかと後者寄りで、歴史の様々なイベントがどちらに転んでも、未来はさして変わらないというエピソードが過半数です。
ぶっちゃけた話をすると、南北戦争のif があったので、押井守氏が進めているプロジェクト「PAX JAPONICA」のネタにならないかと思って購入したのですが、何があっても南北戦争に対するイギリスの介入はまずあり得ないという内容で、いまひとつ盛り上がりません。
ナポレオンがモスクワから速やかに撤退して勝利する話と、オーストリア皇太子が暗殺されなかったらという話は、もっとも楽観的に歴史を改変しています。
レーニン暗殺話におけるケレンスキーへの高い評価は、ロシア革命の総括としてどうかと思う。
ヒットラーのモスクワ占領、日本の中国撤退はほとんど歴史に影響を与えないという内容。どうも時代が現代に近づくにつれ、つまらなくなってくる。
サッチャー暗殺話における彼女への賞賛には辟易とします。
ラストのゴア大統領話は、なんとブッシュの元スピーチライターが書いたもので、揶揄に満ちあふれておりきわめて不愉快。
20世紀以降の話がこれでは、編者に政治的偏向があると言われても否定できないでしょう。