不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

矢野徹氏死去

昔好きだった作家が次々と亡くなるのは寂しいことですね。
作家としてよりもむしろSF翻訳家として知られる矢野徹は、司馬遼と同じく大日本帝国陸軍の戦車兵(正確には騎兵科か)出身でしたが、司馬と違って近代戦を書くことを躊躇いませんでした。
第二次世界大戦中、主にハワイ出身の日系人で構成され、全アメリカ陸軍大隊の中で最大の戦死者を出して最大の殊勲を上げたハワイ第100大隊という部隊がありました。
この部隊が、フランス戦線で包囲殲滅される寸前だったテキサス師団を捨て身の攻撃で救い出したことにより、敵性人たる日系人の社会的地位は、戦後おおきく向上しました。この部隊を含む日系人連隊をモデルにしたフィクション『442連隊戦闘団』は、涙なしには読めない傑作です。
ジェンダー役割が転倒した世界を描き(「男が女を強姦するなんて、構造的に不可能だ」という台詞は、後に村田基が『フェミニズムの帝国』でぱくってました)、彼の女性羨望と天皇への屈折した思慕があらわれた『皇帝陛下の戦場』も快作でした(しかし、テーマが際どすぎたのか、早々に絶版にされました)。
そして『地球0年』。アメリカの特権階級が共産主義諸国の殲滅を目論見、核戦争を起こして自滅した世界を舞台に、自衛隊がカリフォルニアに進駐する物語です。ここでは、自衛隊員によるアメリカ人への暴行や、それに対するレジスタンスが描かれます。
敗戦国の軍人としてのアメリカ軍に対する憎悪と、強い自立心を持ったアメリカ人への敬意が、絶妙な位置でバランスしている作品です。
この作品が発表された当時、矢野はあらすじを見ただけの人間達から右翼扱いされ、また自らもそう自称したのですが、本書の描写を読めば、矢野が右翼でも左翼でもなく、敢えて言うならばハインライン流の個人主義者であって、進歩主義者であったことが読み取れると思います。
この小説は、実はまず劇画の原作として書かれたのですが、この劇画が二年ほど前にペーパーバックで再版されました。
その巻頭に矢野が寄せた言葉に、わたしは彼の作家魂を見、しばし絶句しました。
9・11の報道映像を見て、なぜ自分がテロリストよりも先にあのシーンを想像し、書けなかったのか。彼は作家としてそのことを恥じていたのです。