不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

文系/理系

山本弘の新刊を立ち読みしていたら、野尻抱介*1が、たぶん理系でなければ面白さが理解できないSF作家として紹介されていました。
とすると、野尻ファンであるわたしは理系ということになりますが、わたしは学校では日本文学を専攻しました。
理系の学生というのは単位取得が厳しいので、たいてい勉強ばっかりやってます。(柳下毅一郎山形浩生を輩出した東大の都市工学科は違うらしいのだが……本当かしら)。なので、割とシンプルで合理的な性格の人が多い気がします。
文学部の学生というのは、ごく一部、大学院に入院することを目指しているような方々は真面目に勉強していますが、だいたいが人生について考えたりしながら映画を見たり酒を飲んだりしているものです(少なくとも10年前はそうだった)。
こういう時間はきわめて贅沢なものですが、幸せかどうかはわかりません(わたしは主観的には割と不幸だった気がします)。
しかしながら、ほぼ確実に言えることは、こういう時間を過ごした人間は性格が複雑になります。
わたしはベースがシンプルで変人とは程遠い性格だったようなのですが、予備校の1年と大学の5年をこうして過ごしたおかげで、ややおかしな人間に成長した気がします。
政治の世界を見ていますと、言うことが極端な人には、理系の人が多い気がします。
マルクス主義者と、マルクス主義を憎む民主社会主義者には、どちらも理系的な人が多い。
こういう過激な人はなかなか権力と相容れません。根が真面目なんでしょう。
共産党は東京都足立区の区長を出したことがありますが、議会がありとあらゆる方法で妨害活動に出たため、1年でその座を明け渡しました。
鳩山由紀夫民主党の党首になったとき、論功行賞で幹事長の座をゲットした民社協会は、あまりに露骨な動きで不興を買いあっというまにそのポストを失いました。
つまり何が言いたいかといいますと、ナベツネの無法な権力に対抗するためには、古田のような理系的な論理だけでは力不足であり、新庄のような屈折した文系の稚気をもぶつけなければならないということなのです。

*1:代表作はむっちりむぅにぃ氏の表紙が恥ずかしい『ロケット・ガール』