不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

女性運動は既に勝利している

ところで、わたしは北田氏のところの6/10のコメント欄で、「ジェンフリは政治的に勝利し、すでに体制側なのだから、殊更言上げする必要はないのではありません?」という一般論を述べていますが、これについて補足説明します。
80〜90年代、フェミニズムは公的ブロックに対し、上下二つの側面から積極的なアプローチを行いました。
ひとつは、アカデミズム内部での理論構築やメディア上でのオピニオン形成によるに中央官僚へのアプローチ。
もう一つは、自発的な住民運動体による地方官僚や政治家へのアプローチの二つです。
スチューデントパワーによる下からの改革が失敗してゆくのを高校時代に見ていた世代が、こうした戦略を立案したと言えます。
有名どころでは、東京大学上野千鶴子大沢真理大阪大学伊藤公雄東京都立大学江原由美子などが挙げられるでしょう。
彼らは姉や兄の「失敗」をそれぞれに総括し、「暴力闘争、とくに内ゲバはしない」「権力の内部に浸透し影響力を行使する」「ひろく人口に膾炙する言論を構築する」といった方針を貫き、たくまざる役割分担をして、自分たちの見解を政策に反映させようとしました*1
結果、彼らは男女雇用均等法、男女共同参画基本法といった重要な法案を成立させ(上からのアプローチの成功)、自治体女性政策部門の拡充、「女性センター」のような活動拠点の整備、審議会・委員会における女性参加の拡大を勝ち取り(下からのアプローチの成功)、行政内部に強固な橋頭堡を確保したのです。
今や、いくつかの自治*2では審議会におけるクォーター制*3を、努力目標としてですが設定してすらいます。
余談ですが、90年代に女性政策が「ジェンダーフリー」の旗印を掲げる男女共同参画にシフトしていったのも、上野が扇動し、伊藤が構築に尽力して多くの男性が参加した関西メンズリブ運動の影響が大きいと言えます。
女性運動の進展、特に、住民の政治意図を集約する審議会におけるクォーター制などというものは、きわめて根源的(ラジカル)な動きであり、当然のことながら既得権を持つ一部男性の利益をキビシク侵害するものです。したがって、権益を保守したい側は反撃に出ました。
フェミニズムの成功に学び、アカデミズムの中から扇動の適役者を選び、既存の組織を活用して住民運動を組織もしました。
しかしながら、彼らが勝利する見込みはありません。
男女同権は、近代市民革命後、きわめて基礎的な人権として確立された理念であり、それを達成することに異議を差し挟む余地はないからです。
彼らのオピニオンリーダーである林道義ですら、クォーター制に対しては、「性急な目標を立てることによる弊害や混乱が起こらないように、慎重に判断しなければならない」といった程度のいちゃもんしかつけられないのです。
また、自発的ではなく、上からの指示で組織された住民運動は、結束が脆く、理論的な確信をまったく欠くため、長期の闘争に耐えられません。
一時期あれだけ騒がれた「新しい歴史教科書」の人々の中で、この課題に継続して取り組んでいる人がどれだけいるでしょうか。

*1:上野が滅多に(メディア上で)田嶋陽子を批判しないのはこの基準に依ります

*2:東京都足立区など

*3:ある組織において、男女どちらかの性別の占める割合が一定以下にならないように、積極的な処置を講じることを定めた制度