不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

おたくは、どこにいるのか。

同人誌即売会
と書くと話が終わってしまうのですが、もともと中森明夫が発見した「オタク」とは、コミケに集うコミュニケーション不全な男の子たちです。
つまり正統派のおたくというのは、対面の会話において、一部の人にしか理解できないことを相手を選ばずに口にする、なにが失礼にあたるかわかっていない男たちのことであった、と言えます。
サブカルのマニアにこういう人が多かったというだけで、学問の虫にも、理系文系を問わずこういう人はたくさんいましたし、今もいる。
その意味で、中島梓が女のおたくについて「コミュニケーション不全症候群」と題して書いたのは正しい。中は読みませんでしたけど。
岡田斗司夫がこの単語をメディアの受容者論+世代論に置き換えて用いて以来、問題が混濁してきた気がします。
斎藤環の「萌え」という単語の解釈に、その混乱を見ます。
彼は「戦闘美少女の精神分析」のあとがきで、「萌え」という感覚を実感できなかったと書いています。
この部分を目にした時点で読むのを止めたので、本文については何も言えませんが、自分の感覚を丁寧な説明抜きでわかってもらおうとするときに使う符丁にすぎない単語に、固有の感覚などあるわけがないと思います。
つまり、「オタク」に「萌え」を感じる特殊な能力があるわけではなく、様々な知覚を「萌え」の一語で済ませてそれで良しとする怠惰な態度、並びに他者への無関心が「萌え」という単語に表れている、というのがわたしの意見です。
一昔前の女性週刊誌が、ありとあらゆる単語に「愛」をくっつけて造語したように、「萌え」も、便利で、そして空虚な接尾辞にすぎない。とは、言い過ぎでしょうか?
なんて言ってるわたしは眼鏡少年萌えなんですけど。