不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

ナショナリティとか戦争責任とか加害者/被害者とかジェンダーとかのアイデンティティ・ポリティクスについて

 ヤマト人は にげる。「民族は つくられた概念で、実体は ない」と相対化する。おきなわ人に「ヤマト人」と よばれても、アイヌ人に「和人」と よばれても、そんな実感はないし、民族意識など もっていないと いえてしまう。

http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20090509

 先日も書いたけれど、私は個人的には戦争に加害も被害も無い・・・と思っています。究極的には加害兵士も加害を強制されている時点で大枠でみて被害者だと思います。(もちろんそこに依拠する事の危険性はありつつもやはりそう言います)

http://pukupuku.yunegoro.lovepop.jp/?eid=729770
反日的在日日本人たるわたしはけっしてヤマト人ではありません。
父方の祖父が新潟県から出てきた喰い詰め農民、母方が会津士族の流れをくむ北海道民(北海道は内地ではないのでナイチャー呼ばわりも許さないぞ!)であることからして、アズマ人であり、奥羽越列藩同盟方に連なるモノです。したがって、ヤマト王権や明治政府や米帝の権力を認めるわけにはいかない(ぜんぶ負け組なので権威は認めます)。
それゆえ当然、わたしは、日本帝国の戦争責任を糾弾しながら引き継ぐモノでもあります。
もちろんわたしは戦争の直接の加害者でも被害者でもありませんが、祖父(ラバウルだかガダルカナルの、中隊唯一の生存者)や曾祖父は加害者であり、被害者でもあったわけです。幼児だった母や戦災孤児の父は被害者率が高そうだ。
わたしは人間として男か女か概ねどちらかで生まれてきたわけで、当然その結果を受け継いでいますが、だからと言って現在、男か女かの自己同一性の加害や被害を訴える気もなければ、責任を放棄する気もありません。
つまり、ひとりの人として、およそ人の世の中のたいていのことには、「加害も被害もある」、関係があるのだ、というのがわたしの意見です。