不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

もう人類は限界を超えましたよ?

グローバリズムと言語を語っているはてダみつけました。

英語が巨大なロードローラーのように弱小言語を押しつぶしている。それに伴って世界の各所から悲鳴が上がっている。私は、TOEIC で満点に近い点数を取ったあと、英語をそれ以上学習する続ける意欲を失い、韓国語・中国語・ベトナム語などの英語以外の言語を学ぶようになったのは、英語が持つ圧倒的なパワーと、それによって大きな恩恵をうけている英語のネイティブスピーカーに対する反感があったからだ。

しかし同時に、これは止めようの現象であることは痛いほどわかっている。もう人類は後戻りができない。確かに中世ヨーロッパにおけるラテン語や、近代以前の東アジアにおける漢文といった、地域的な普遍語はいつの時代にも存在した。ただ、英語は、おそらく人類にとって、最後で唯一の普遍語になるだろう。

なぜ英語が最後の普遍語なのか。ネットワークの外部性が働いているからだ。世界のすべての国際的な交流はいまや英語で行われるようになっている。世界中の人々があまりに多くの投資を英語に対して行ってしまっている。この流れが逆転することは考えにくい。いま、たとえアメリカが没落したとしても、いかに中国が台頭しようと、もう流れは変わらない。全面核戦争でも勃発して人類が滅亡の危機にでも瀕しない限り。

ただ、日本は、英語の普遍語化に最後まで抵抗する文明の一つになるだろう。(もうひとつは中国だろう)そういう意味で向こう30年くらいは日本でも英語なしで生活ができるのかもしれないが、やがては日本も歴史の大きなうねりに飲み込まれていくだろう。

http://d.hatena.ne.jp/elm200/20081110/1226301273
英語帝国主義不可避論と言ったところでしょうか。あるいは悲観論的グローバリズム論の言語版と言うべきか。
ベトナムという、歴史的に酷い目にあってきた国で働かれているそうなので、実感はありますが、賛成はできません。
英語への投資というのは百年単位ではどうでもいい話だし、「ネットワークの外部性」は常に変容し得る。
自動翻訳がシームレスになったら多くの人にとって苦労して外国語を習得する意味はないし、千年単位の文化蓄積が百年程度の電算機文化によって失われることも考えにくい。
ゲルマン語文法を元にシンプル化された言語が超国家の公用語に採用されるというのは、SF的にあり得るかも知れませんが、ウェストファリア体制による国民国家なりリージョナリズムが健在で、法と暴力装置を独占しているうちは、そういうことにはならないでしょう。
ということは、予想し得る未来にはそういうことはなさそう、ということで。
むしろ、失われつつある/既に失われたローカル言語を保護/再生する動きに向いているくらいですし。