不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

「SEED世界はジェンダーフリー? 」

という問いを見かけた
http://plaza.rakuten.co.jp/0506usa/diary/2004-10-28/
のでお答えしましょう。
違います。
これだけでは不親切ですね。
まず、「ジェンダーフリー」とはなんぞや、ということからはじめましょう。
バリアフリー」ということばがあります。
障害者を様々な障壁(バリア)から自由にする(フリー)、という意味です。
わたしの知る限りではジェンダーフリーの「フリー」はこのバリアフリーからの転用です。
ジェンダー(社会的性差、それに基づく差別)から自由にするというわけで、ジェンダーフリー反対派が主張する「男らしさ」「女らしさ」の否定というのは、じつは一面を捉えています。
とは言えしょせん一面に過ぎないわけで、男女その他いろいろのほうがバラエティあって楽しいわよ(は〜と)というクィアスタディーズ系のひろーい世界もあったりしますし、この場合のフリーはジェンダー障壁の除去に過ぎない、というせまーいお役所フェミニズムの世界もあります。
あ、時々、「ジェンダーフリー」はアメリカの社会教育学者の云々という権威漬を振舞う方がいますが、最近、これはどうもデマ臭いと議論になってます。フェミニズム業界内部で。
で、SEED世界ですが、確かに女性キャラは多い。
多いことは多いのですが、内実が伴っていなければ何の意味もありません。
SEEDの主要女性キャラクターを見てみましょう。

マリューナタルは現場指揮官クラス。これは『エヴァンゲリオン』以降には、珍しくはない設定です。艦長と副長だった時期には、慈母と厳父という役割を二人で分担していました。現代日本で言えば、女性のメインキャスターといった存在で、実際マリューの声優はナレーションも勤めています。
ミリアリアはマネージャーのような伝統的な脇役ですね。
注目して欲しいのはフレイ、ラクス、カガリの3人の共通点です。3人とも権力者の娘です。父が偉大でないと物語に登場できないという神話的な世界なのです。
エザリア・ジュールは自ら多少の権力を持ち、しかも急進派(戦争推進派)であるという珍しいキャラクターでしたが、登場回数は少なく、たいへん軽く扱われています。どのくらい軽いかというと、マリューと同じ声優が担当しているくらい*1
これらを見てわかることは、SEED世界における女性役割描写は、これまでの作品におけるそれに比べ、一歩も踏み込んでいないものであるということです。
加えて言えば、SEEDには作品中継続して感情移入することができるように描かれた女性キャラがひとりも存在しません。そういうキャラは主人公キラ・ヤマトとその親友アスラン・ザラのみです。
続編のSEED DESTINYになるとさらにヒドイ。新主人公シン・アスカと前作の二人に加え、シンの戦友レイ、そしてシンやレイを導くギルバートと、話をドライブするキャラクターはすべて男性。画面で犠牲になる名もない兵士、暴徒、襲われる権力者のみなさんもほとんど男性でいらっしゃいます(SEEDではもう少し女性の顔が見えていた)。これはもはや男性だけの社会、ホモソーシャルです。ホモソーシャルにおけるドラマが「やおい」色を帯びるのは当然のことであり、ますますラクスやカガリといった女性キャラは疎外されていくのです*2

*1:ナタルとフレイも同じ声優で、やはりこの二人の扱いもぞんざいです

*2:もっともDESTINYの場合、キラ、アスラン以外のすべてのキャラクターが疎外されているようにも思われるのですが……