不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

人間とは何だ

高熱で朦朧としていたときに、夢とも妄想ともつかない思考の流れの中で、アイデンティティ危機に陥りました。
その翌日、点滴されている間に「あれはいったい何だったのか」と思い返すと、だいたい次のようなものであったようです。
1.社会・組織の中で、わたしという人間は、死んでも代替の効く一つの部分である
2.わたしという人間の中で、今この瞬間に高熱で死んでいっている組織や細胞というものは、代替の効く一つの部分である
1.と2.は同じような関係ではないか
では、
3.社会・組織の中における、わたしという人間の中にある組織や細胞というものも、代替の効く一つの部分である
と言えるだろう。しかしここまで言いきってしまうと、わたしという個人の意思やアイデンティティというものはどうやって担保されるのだろうか。
じつはわたしというひとつの個体は、単なる組織や細胞、情報の結節点、あるいは容れ物に過ぎず、アイデンティティなどというものは生物としての人間にはなかったのではないか。ちょうど、高熱で論理的に思考できないわたしのように……
とまぁ、いつになくセンチメンタルになってしまったわたしなのでした。やっぱ熱があったようですね。