不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

『ひみつのやくそく』

  • 『ひみつのやくそく』 古田足日・作 遠藤てるよ・絵

主人公のひでやは小学1年生。遠足で秋の山にやってきました。先生が、この山にはむかし「おに」が住んでいたと話すので、ひでやは怖くなってしまいました。
途中でみつけた、「おに」がいそうな洞窟をのぞきこむと、そこにはどんぐりと見たことのないおそろしげな果物が並んでいたのです。
勇気を奮い立たせるためにシャボン玉を吹いていたせいで、同級生から遅れてしまったひでやは、慌ててみんなを追いかけようとして、道を踏み外してしまいました。
坂をすべり落ちながら「助けて」と叫んだひでやを、助けてくれた子どもたちがいました。
しかしそれは、ひでやが恐れていた「おに」の子どもたちだったのです!
id:yasaiさんが推薦する『おしいれのぼうけん』の作者・古田足日が、遠藤てるよと手を組んで2002年に出版した創作絵本です。
近代ファンタジーの基本原則、不思議な世界に旅立ち、成長し、そして帰ってくるという構成は、『おしいれのぼうけん』とも共通するものです。
主人公は、たぶん男の子と思われる子どもです。たぶん、というのは、どこにも彼の性別についての記述がないからで、この「性の不在」は古田作品に共通する欠点であり、美点でもあります。
主人公が出会う「おに」の子どもたちは、女の子三人、男の子二人。合計すると(たぶん)半々です。
物語の中で「おに」と呼ばれる子どもたちが、幻想世界の住人なのか、過去に実在した少数民族なのか、あるいはひょっとすると現在でも山の中で人知れず生活している人々なのか、物語の中にその答えはありません。
しかし、世界にはもう一つ別の姿が有り得る、という古田の信念が、ここにはあらわれています。
文中、「とらの かわの ふんどし」という言葉が出てきます。現代の小学1年生には、すぐには理解できない単語でしょう。
「ふんどしって何?」と聞かれても、わたしにはうまい説明が思い浮かびません。「お相撲さんがしめている『まわし』のようなもの」とでも言えばいいのでしょうか。
わたしなら、ここを「鬼のパンツ」とでも書いてしまうところです。
しかしながら、かつて「みんなのうた」で歌われた「鬼のパンツ」という表現は、「鬼がパンツなんてはくわけない」という常識があったから面白かったのであって、「鬼がはいているもの=パンツ」と子どもに語ることは間違っています。
鬼は日本古来の存在であって、外来の下ばきを着用したりはしなかったのでしょうから。
子どもは、興味があれば自分で調べて知ることもできます。
古田はその成長の機会を与えるために、敢えてとっつきにくい単語をいれているのだと思います。
作品のクライマックスでは、「にんげんごっこ」(つまり、「おにごっこ」)のいくつかのバリエーション、「おっかけにんげん」「あぶく立った煮え立った」「かごめかごめ」が描かれます。
そしてその中で、「桃太郎」の名が批判的に登場します。しかしこれも押しつけがましいものではなく、お互いがお互いを恐れているという恐怖に基く緊張関係を、相対的に描いたものです。
ドラえもん』の中でも名作の一つといわれる「ぼく桃太郎のなんなのさ」が、いささか鬼(ここでは、漂着した白人)の側に肩入れし過ぎている(これは主人公が桃太郎に扮するという物語の構造上、仕方ない)のに対し、ここでは人間と「おに」との関係は対等なものとして立ちあらわれ、主人公もそれを得心します。
この描写は「子どもは遊びの中で群れて成長する」という古田の基本テーゼにのっとったものです。
遠藤さんの絵について、追伸のように触れるのは失礼ではありますが、きれいな切り絵による幻想的なもので、文章を視覚化するためにたいへん効果的なものになっていると思います。
絵本には、あきらかに絵が中心になっているものと、物語が中心になっているものがありますが、この絵本は後者だろうと考えます。

古田足日という名前は、ふるたたるひと読みます。
しかし、彼はかつて、フルタ・タルヒでもありました。カタカナで、なかぐろ(・)までついているのがポイントです。
何が言いたいかといいますと、彼は日本人であるだけでなくニホンジン、在日ニッポン人だったのです。
59年前、大日本帝国は中国とフランスとアメリカとイギリス、最後にはソ連まで、ぜんぶひっくるめて敵にまわした大戦争に負け、ただの日本国になりました。
現在アメリカに実質的に占領されているイラクでは、フセイン大統領が神だなどとは誰一人として(本人すら)思っていませんでしたが、日本人のかなり大きな一定数は、日本帝国は「天皇を中心とした神の国」だから負けるはずがないと本気で信じていました。
だから国が敗れたことを天皇が宣言した時、そうした人たちほど心の中に手痛い打撃を被りました。
18才の古田青年もその一人でした。彼はテロに走るか、自決(自殺)するかと半年以上も悩み続けたそうです。
そしてついに、そうした自分の内なる古き日本を否定し、フルタ・タルヒとなったのです。
漢字やひらがなの否定が古い日本の否定だというのは、なんとも短絡的に聞こえますが、当時は日本語を廃止して英語を国語にしようという人も居たくらい、日本の敗戦というものはショックなものだったのです。

わたしは小学生のときに古田の本と出会いました。
最初に読んだのは、たぶん『宿題ひきうけ株式会社』。
この物語は、1950年代、日本がまだ貧しく、目に見える階級差がそこかしこにあった時代の話です。
物語の中で「株式会社」は解散しますが、子どもたちのグループは「試験・宿題なくそう組合」として存続します。
ひどく粗削りで完成度も低く、しかしやたらとエネルギーのある本で、何でこんな本が推薦図書になっているんだろうと不思議に思ったものです。
その粗削りなパワーは、児童文学者としてのデビュー作である『ぬすまれた町』で最も光り輝いています。
豊かさによって人の心を奪うグループ・カゲは、ディズニーランドを思わせる巨大遊園地を誘致し、缶詰工場と団地をつくり、市長と警察を抱き込んで町をカゲの色に染めていきます。カゲと戦っていたはずの主人公は、ある時、自分もカゲになっていることを友人から指摘されます。そしてブタ飼いの「きちがいばあさん*1」が「町はぬすまれた」と呪詛のようにつぶやくのを聞くのです。
わたしは夢中になり、次々と古田の本を読みあさりました。

古田は大阪外大を経て早稲田大学文学部の露文に進みます。当時の典型的な左翼インテリといえるでしょう。
在学中、童話会(後の少年文学会、現在の児童文学研究会)に参加し、戦後の児童文学を担うことになる数人と、文学史に燦然と耀くマニフェスト「少年文学宣言」の起草に関ります。
この宣言は、古き童話を否定し、近代文学としての少年文学を建設することをうたいあげたものです。
要点としては、現実の子どもを描くこと、そしてその子どもが変容していく姿を描かねばならないということ、が挙げられます。
古田は卒業後も児童文学の評論家として活動を続け、満を期して創作「ぬすまれた町」を発表し、そして散々に叩かれます。
そのSF的な内容、現実と幻想の区別のつかない構成、現実社会にある矛盾の描写、たたかうべき対象は自分自身の中にもあるという認識、既存の左翼活動に対する批判など、確かにこの本はあまりにも時代に先駆け、ラジカルに過ぎるものでした。
その後、古田はわかりやすい作品をつくることを心がけ、テーマを絞り、絵本から小学校高学年向けの本までを少しづつ書いてきました。
彼の仕事は、批評家や編集者、活動家としてのものがその大くを占めてきましたが、今もまだ、青年の日の志をつらぬく物語を作り続けています。

  • 広い心で読んでほしい言い訳がましい顛末記

id:cottontailさんのとこでは「専攻ですから」と大見得を切りましたが、実はわたしが学んだのは児童文学、それもどちらかというと批評のほうでして、絵本は得意分野ではありません。
また、子どもの頃から子供扱いされるのが嫌いな子どもだったため、文字のほうを有りがたがる傾向があり、けっして良い絵本読者ではありませんでした。
今回、その過去を踏まえ、自分の知っている絵本ではなく、いまの自分の目で見て面白いと思える本を探そうと決意しました。
しかしこれが意外と大変でした。新刊書店をいくつもまわったのですが、在庫が限られている上、自由にアクセスできるリファレンスがなく、出版社別に配架されていることもあってたいへんに探し辛い。
じっくり読んで比較したいので購入しようと思っても、やたらとかさばるし、安くもないので、だんだん気が重くなってきました。
電車ですぐ行けるところに早稲田大学図書館があるのですが、ここは近代児童文学発祥の地のくせに、絵本がおいてありません。(余談ですが、教育学部を退任した児童文学者の鳥越信は大学に愛想を尽かし、蔵書・資料12万点をそっくり大阪府に寄贈してしまいました。これが万博公園にある府立児童文学館のはじまりです)。
地域の図書館は、以前の記憶では古い本ばかりで気が進まなかったのですが、新刊書店に見切りをつけて久々に出向いてみました。
すると、それなりに新しい本も入っているし、何よりもリファレンス・システムの動作が快適になっていました。
わたしは作家中心にものを見る人間なので、著者名検索で何人かを当たって作品を選びました。
「百選」のような選集の場合、なるべく作者が重複しないようにするのがスマートだと思うのですが、結局、彼を差し置いて他の人の作品に言及する気にはなれませんでした。
なにしろ、わたしが内なる日本に抗う文士となったのは、古田足日その人のせいなのですから。
『ひみつのやくそく』と並んで最後まで候補に残ったのが、日本神話を迫力のあるイラストと共に描いた『さくらさひめの大しごと』(古田足日・文 福田岩緒・絵)、古田とともに『おしいれのぼうけん』をつくりあげた絵本作家たばたせいいち(田畑精一)の『ピカピカ』(捨てられた自転車がアフリカに送られ活躍する作品)、『さっちゃんのまほうのて』(先天性四肢障害児の女の子を主役にした作品)、の3冊でした。
田畑は古田よりもちょっとだけ若いのですが、そのストレートなメッセージ性は古田に勝るとも劣らない強烈なものがあります。
『さくらさひめの大しごと』は、CGも活用した絵のレイアウトが見事で、文章と有機的に結合した鮮烈な作品でした。
かつて日本を否定しながら、忍者ものや太閤記を手がけ、国つくり神話にも挑戦する古田足日は、単なる反日ではない。日本という場所と人とが、とても好きなもの書きなのです。
さて、お次は「ふってくれリスト」から、id:lucky7strikeさんにバトンをお渡ししたいと思います。

*1:全集では、「のろいばあさん」と改訂されていますが、わたしにとってはやはり「きちがいばあさん」がリスペクトの対象なのです。とくに、理論社愛蔵版ですが、裏表紙のイラストが素晴らしかった……