「自己責任論」の無責任
軍事情報サイトとして定評のあるkamiura.comにて、読者の意見として「自己責任論」への反駁がされています。
そのうち二つを紹介します。
わたし自身が理解する助けのために、勝手ながら文意を変えないように文章を分解しています。興味をお持ちになった方は、必ず原文にあたってみてください。
http://www.kamiura.com/mail.html
- 事故責任となじみの深い、投資関係の仕事をしている方の意見
- 意見が違うというのは個々の人々「私」の問題
- 政府の役割は、個人では対応出来ない大きな問題に対処すること、そのために「無私」として存在する上部システムが「公」
- 意見が違うとかいうのはどちらの意見も同じ「公」が包含する「私」のものですから関係ない
- 単純に自己責任で個人を責めることは、少しでもオカミを批判するなら国民の権利が無い、という民主政治の否定
- 国民が主権者であるという以上、政府の 方針が誤りと思えばこれを正すのは、権利のみならず重要な義務
- 自己責任というのは、使い慣れない人は無限に適用を拡大してしまいがち
- 官房長官は記者の質問に逆ギレし「じゃ自衛隊派遣しなければテロは 起こらなかったんですか?!」と述べました
- 100%でなくともまず8割以上「その通り!」
- 自己責任論は、そういう政府責任を誤魔化す意図も相当含んでいるのではないでしょうか
- 彼らは国家の「責任者」
- 全体の総意を公平に汲んで、それによって判断を下す、そして判断した 結果に「責任を持つ」のが彼らの仕事
- 結果責任が負えないというなら、トップの資格なぞありません
- まして、総意を公平に汲んだかといえば疑問も大きく、そうなら背任というやつで、検証が必要でしょう
- 意見が違うというのは個々の人々「私」の問題
- ニュージーランドの大学院で交渉学を研究している方の意見
- 交渉当事者としての政府の立場
- 人質の解放を最重要課題という以上、どうすれば解放されるかを考える
- 結果が重要なのですから、相手との共通利益を見つけないといけない
- 残念ながら、日本政府からのメッセージは日本国内向けとしか映りません
- 自衛隊派遣の問題に焦点が移るということで家族に会わなかったという総理の態度
- 交渉学でいう 「問題回避」であって、「問題解決」の手法を駆使していることにはなりません
- ファルージャの戦闘が停戦になっていた時期に解決できたかもしれない積極的な手があったはず
- 交渉相手を「テロ」と呼んでしまったことも問題解決手法からするとどうだったか
- どういう結果を目指しているのか
- あるいは結果に関知していないのか
- 日本政府が自衛隊のことに触れた以上は、自衛隊が誰のために派遣されているか、というテーマに問題が移ってきます
- 最後に、韓国との違いについて、一言
- 交渉当事者としての政府の立場