不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

世界の中心は文学部だと叫ぶ

半ばむりやりに日記の常連になっていただいてしまった木内先生と交換日記状態に。
http://www.edogawa-u.ac.jp/~kiuchiy/home/2004webdiary.htm
なんと、研究室にやってきた学生さんに読まれてしまったらしい……はずかしー。というか恥をかかせてしまったそうで、申し訳ありません。

さて、部員たちがよくわからないという「文士」氏のコメント「うむ、やはり文学部はそうありたい」について私なりの解釈です(これなら私にも語れるので)。
現在のマンガやクスリでよく指摘されることに、「自分」と「世界」だけでその中間がない、というのがある。
おぉ、いわゆる「セカイ系」という奴ですね。これはSFには昔から多い気がします。特にハインラインの自己中心的な夜警国家観はまことにヒドイものです。
セカイ系」の縮小バージョンで、個人と天下国家が融合している人々もいますね。司馬遼とか落合信彦(わたしの中では同レベル)とか。
ネットウヨと呼ばれる方々の気持ち悪いところもここ。国益と自分の利益の区別がつかない。そして例えば、自分が日本人の男性であるということに疑問を持たない。しかしこのアイデンティティも脆弱なので、それを脅かすものを攻撃したがる。
まぁ高校生ぐらいなら社会生活も貧弱だろうからわかるけど、大学生になったら少しは自分のまわり数メートルのことから考えはじめて欲しいなー。
まぁ、わたしはそんなにちゃんとした学生じゃありませんでしたけどね。
「文学部はそうありたいね」とは、私の解釈では、
「世界って、生きるってなんなんだろう」とか「自分ってどうしてこうなんだろう」ばっかり考えていて講師室の印刷機で裏表を間違えて製版してるような先生が多い
ということでしょう。
うーん、ちょっと違うかな。
これにはふたつ意図がありまして、人間を知りたいと思っている連中が学部に壁(ATフィールド?)をつくってどうするか!というのがひとつ。
もうひとつは、自分と自分の研究を本当に中心に考えているなら、他者による監視体制なぞ許せはしないはずだ、ということです。