不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

渡辺多恵子はバカなのか。

あらかじめ言っておきますが、わたしは1/30の日記にも書いたように、文章も含めて渡辺多恵子のファンです。
特に、中編については大ファンといってもいいです。「雨に似ている」*1なんて、いつ読んでも泣けます。
前回に引き続き、今回も彼女は筆禍事件(三谷幸喜の「新選組!」をぼろくそに批判した)で叩かれているわけですが、わたしは断固として渡辺多恵子の肩を持ちますね。
とはいっても、三谷さんを批判するつもりは毛頭ありません。それ以前に、彼の作品をほとんど見たことがないし。
わたしは作家、特にジュブナイルを書く作家は、バカになれる人、いやむしろバカな要素を持った人でなければならないと思ってます。
「地球物語」のあとがき座談会だったか、SF作家の大原まり子が「頭のいい人間は作家に向いてない」あるいはもっと直截的に「作家はバカでないとなれない」と語って、一同深く頷くシーンがありましたが、SF以上にジュブナイルはそうした要素が強いと思います。
だって、子どもってのはそもそもバカなわけじゃないですか。
そういうバカな子どもになりきれる、「心は少年」である人しか、少年・少女漫画家として二十数年*2も走り続けられるわけがないのです。
つまり何が言いたいかというと、渡辺多恵子はバカだが、わたしはバカが大好きだということ。
最後に念のために付け足しておきますが、バカであるだけでは漫画や小説はつくれないというのは勿論です。

*1:この中編は「トーマの心臓」の影響下にあると思うんですが、どうかな?

*2:渡辺のデビューは1979年