不平文士の節酒日記~ADHD 死闘篇

アルコール使用障害とADHD に立ち向かいつつある技術系会社員のブログ

立命館大学における表現弾圧

立命館大学クィアスタディーズ研究会が主催した"「ナルシストランス宣言」事前企画写真展"の展示物が、大学当局により無断撤去され、文学部自治会もそれを追認しているそうです。
事は「見たくないものを見ない自由」、つまりゾーニング問題にも関わる話ではあるのですが、話し合いや説明の手続きを踏まえない一方的な行為であり、立命館大学の建学の精神「自由と清新」、教学理念の「平和と民主主義」*1を辱めるものと言わざるを得ません。
そして。

産業社会学部事務室からの返答としては、今回の判断は「総長」と「教学部長(教学常務理事)」の判断の下に行われた、とのこと。

http://d.hatena.ne.jp/tzetze/20090123/1232712191
立命館大学の教学常務理事って、DV臨床社会学の専門家で、日本メンズリブの総本山(笑)メンズセンター*2の発起人のひとりであり、後にメンズサポートルーム京都にうつった中村正さんじゃないですか!
http://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/koho/headline/info/2007/01/yakuin.htm
中村彰、中村正の御両人は、日本メンズリブの良心だと信じていたのですが……

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/立命館大学

*2:実際、Men's Center Japan を名乗る。ナショナルセンターか!

関西メンズリブの分裂

関西メンズリブ業界には、味沢道明といういつも自信満々な文章を書く初老男性がいるのですが、あちこちで嫌われ続ける「焼畑式交流」を続けてきた20年を綴っています。
http://plaza.rakuten.co.jp/ajikun/diary/200808080000/#comment
コメント欄では「正当メンズリブ」を名乗ってますが、なんだか『ギレンの野望』の「正統ジオン」を連想させます。
ここ数年は「日本家族再生センター」なる、名前だけ聞くと保守反動の巣窟なんじゃないかと思われるような団体を主宰されております。
わたしは彼の文章が大嫌いですし、彼を嫌う人々から直にたっぷり悪口を聞かされていますが、ここで彼が書いている内容については概ね事実だろうと思います。

常に先駆的に新たな事業展開を続けたメンズリブの仲間ですが、98年に非暴力研究会を立ち上げ、中村正さんがアメリカで体験してきた非暴力グループワークや仲間たちが翻訳した脱暴力テキストを参考に、日本でも初めての非暴力グループワークを始めます。DV法ができる三年前です。

当時者をワークだけでなく、様々な形でサポートするためのメンズサポートセンターをメンズセンターの隣室に開設するために、メンズセンター有志数名が動きましたが、メンズセンター運営員会で、男性運動に無理解な当時者が隣室に出入りするのはけしからんという強硬な一人の反対者がいて、数名の男たちは黙りを決め込み、私がその男と談判を続けましたが、決局委員会では多数決原理を持つていなかったので、その男のごり押しで、サポートセンターの話はつぶれてしまいました。

メンズセンター周辺はけしからんとの委員会の判断だったので、私は私の地元京都にメンズサポートルームを開設し、グループワークをメンズセンターから切り離して継続運営して行きました。やがてグループワークに関わる男たちはメンズセンターを辞め、メンズサポートルームに移籍してきました。

結局メンズセンターに残ったのは、当事者支援には手を出さない研究者ばかりで、彼らはやがて大学教員という職について行きます。肩書きを利用して、自分こそ男性学研究者との世間的評価を獲得して行きます。

ここに出てくる「強硬な一人の反対者」には心当たりがあります。
おそらくは、当時のメンズリブを背負っていた伊藤公雄や中村正の後を、文字通りもみ手しながらついて歩くような男で、その癖に東京のメンズリブ・男性運動を自分たちの支店のようにみなす権力的な発言を続け、関係者から蛇蝎の如く嫌われていた人物です。
コメント欄の男性(たぶん、わたしの知っている人だ)に「人権無視的なこと」をした「あの人」も同一人物だろうな。